まだ選挙権がない人の為の選挙の話

 最近みたニコ生の放送に政治の話を10代の人がしている放送がいくつかあって皆結構真剣だった。内容は、まず選挙に行こうよ見たいなないようだったんだけど。だが、みていて色々思う所があった。自分が思った結論から書くと、選挙に行くべきだと思ってる10代の半分くらいは恐らく選挙に行かない。少なくとも小さい選挙は無視することが1度くらいでてくるだろう。まあ、何故かと言うと色々理由もあるし、中には単に選挙が面倒という単純な人もいるんだけど、選挙できるようになってみないと分からない理由ってのが結構ある。で、何となく今日はそんな話を書こうかと。

選挙を知るのは意外と難しい

 恐らく10代後半で政治を語る人の殆どが自分の住んでる場所の選挙が何時行われてて、誰が立候補してて、どんな事をいっているのかを知らない。別にこれは10代の人を否定してるんじゃなくて、当たり前なんだけどね。選挙活動といえば選挙カーが走るとか、ポスターをみるとか、妙な人たちから電話がかかってくるくらいで、時々やってる街頭演説に遭遇できる人はむしろラッキーだといっていい。つまり、誰が何を言っているかという状況に遭遇する事が普通に生活してる10代には殆ど存在しないからだ。勿論10代でもあえて調べれば多少のことはわかる、しかし、それをする人が一体どれ位いるかということ。で、現実に起きる選挙権がある人たちの投票も実は大差ない。ただ、選挙の知らせの紙がくる程度。10代には10代の現実があって色々やってるとは思うけど、選挙権がある人にもそれぞれの現実があって生活がある。正直、時間的制約からすると10代でできない事は多分選挙権を持ってる人もできないか、普通は10代より忙しくてもっと実行するのが難しい事になっている。特に現在の若年者はそういう意味では本当に余裕がない。10代の人でも生徒会の選挙とかならしたことあると思うけど、あれを現実の日本の政治の模擬と思ったら大間違い。正直中学生の生徒会は直接演説を聴いて直接知っている人を選ぶ分、現実の日本の政治より遥かに民意を反映した投票が出来る。民意を反映させるという意味では現実は中学生の生徒会以下の機能しかない。アレよりずっと酷い状況の中で投票する事になると思ったら分かりやすいだろうか。

選挙に行くのは意外と難しい

 若年者の投票率が低い原因じゃないかと自分が思ってるのの一つに大学の進学率がある。大学の進学率が高くなって、同時に済んでる場所と違う場所の大学に行く人も増えてると思う。これは結構投票には意味があって、住民票は実家にあるが、住んでるところは違う場所って状態になると、選挙のお知らせは実家にだけいく。選挙のためだけに毎回戻る余裕のある大学生は意外と少ない。3年にもなれば就職活動、卒論もあるし、文系ならまだいいが理系だと大学は意外と遊ぶほど暇じゃない。その上金がない人だと熱心にアルバイトしないと生活できないので、学年があがるにつれて結構ひどい事になる。まあ、投票率が低い原因としては、これは主要な要因じゃないかもしれないけど、少なくとも若干でもそういう人がいて投票率が下がる原因の一つになってるのは間違いないと思う*1。もし、大学で実家からはなれてそれでも投票したいと思ってる人は住民票を写したほうが投票はしやすい。一度選挙が何もない状態で済んでしまうと次も行かなくなる確立は凄く高くなる。1回目の選挙は成人式のように何か意味を持たせてでもやるべきじゃないかと自分は思ってるんだけどね。

投票するのは意外と難しい

 投票するのはもっと難しくて、難易度が高い。10代の人の話はいつも選挙といえば国会議員の話が多いんだけど、実際には選挙といっても衆議院参議院、市議会議員、県議会議員、県知事、市長、そして最高裁の信任とかそういうのがある。で、さっきの選挙を知るのは難しいって書いたけど、恐らく10代の人だと国会議員の選挙の話ですら多分知らないので、他の奴は殆どが知らないと思う。そして、今の住んでる場所の市議会議員とかが誰で何を言ってるかとなると中々難しい、ひょっとすると誰が市長とか誰が県知事かも知らない人もいるだろう。まあ、そういう人には多分現実問題そういうことを知る機会がないんだから無理もない。だけど、10代後半で知らないと次の選挙権があるときにくる選挙では多分あなたは誰に投票すべきか分からない。だって、現職が誰で何をしてるか知らないのにどうやって選別するんだろうか。個人の判断材料というと国会議員のときですらTVの数分の放送とぺラっとした紙で送られてくる1ページもない立候補者の意見程度となる。勿論皆きれいごとが並べられていて、それが議論される事もなく吟味する方法は意外と少ない。さっきも書いたように選挙を知るだけでもそれなりのハードルがあるが、知った所でどれが正しい意見なのかを決める基準となると更に難しい。最後には顔つきとかで判断するおばちゃんを簡単に否定するのは難しいという現実。そこで、たいていの場合は個人ではなくて政党がどこかを見て自分の意見に近い政党に投票するわけだが、現在民主と自民の政策的区別が分かる人は実は少数派ではないだろうか。しかし、自民と民主の立候補者がいる選挙区はまだいい。酷い場合だと共産党と自民しかいない可能性も結構ある。そうするとどうだろ、殆どの人は共産党には抵抗があるので、必然的に自民を選ぶしかないという事になる。これは選択してるといえるのだろうか。まあもっと極端なのだと最高裁判所の裁判官も選挙のときに信任するのがあるが、現在の裁判官の名前以上のものを何か知っているかと自分が聞かれたら正直知らない。では、どうやって判断するか。事実上判断基準などないのだ。選挙に言っても代わらないとぼやく人の現実って言うのは多かれ少なかれ否定できないこう言う部分を内包した話だと思う。まあ、それでも選挙に行くしかないんだけど、選挙へ行く人の列は暗雲が垂れ込めている。
 そういう意味では自分は根本的に選挙制度を変えないと日本は代わらないと思ってる方で、官僚がどうか、政権交代がとか、赤字がとか、不況がどうとかそんなものは後から表層に現れた問題点であって基本的に民主主義が有効に機能していない事の方が未来に暗雲垂れこめる理由だと思ってる。少なくとも選挙カーは辞めて、テレビとインターネットで選挙活動をさせて自由に討論し自由に質問できない事には始まらない。特にインターネットは格安で意見を主張したり討論したり出来るのだから、政治資金的な問題点もすくなく早急に選挙活動として認めるべきだと思うね。でも、残念ながらこう言う主張に限らず、自分が思ってる事を代弁する人が自分の選挙区にいるとは限らないのも現実なんだ。そして自分と同じように思ってる人がいても、やっぱり自分と同じように生きていくのですら大変な人たちは立候補する金もコネも経歴もないのが普通なんだ。

 最近オンラインソフトの話から脱線しすぎてまとまりがなくなってるからこう言うのをここに書くのも本当はどうかと思うんだけど、wordpressが微妙だったので、まだ書くところがないというか、早くそういうのなんか考えた方がいいのかもしれない。

*1:これは自分以外にも結構こう言うことを主張してる人はいるんだけどね http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200407070410.html