もやもやギュ

 どうでも良い自分の話。ネガティブな話に続く、余り何も考えていないことに気づいた話。最近思い知ったことに、自分は一から真面目に何かをするのが苦手だと言うことがある。勿論計算も苦手だ。xyzzyとかで遊んでいて色々思い知ったというか。賢い人は全体像を考えて、一行目から綺麗に順序だてて下まで書いていくのかもしれないけど、自分の場合は最終的に出来上がったものがそんな風に作られたことはない。まず、それをやろうと思っても、そんな風に始めから頭の中に綺麗に全体像が出来ない。特に良く知らないことに関しては間違いなく無理。
 じゃあ、何を考えて、どういう風にしているかと言うと実に適当な感じで説明するのすら難しい。まず必要そうな知識を適当に食い散らかして(勿論食べ残しが多い)、頭に詰め込んだ消化不良でもやもやした中で、部分的に消化できた所の中から一番楽しそうなゲル状の部分を探して取り合えずギュっと固める。次に、固まった固形物の周りにある固形になりそうなモヤモヤを探して、適当に合体させる。其れをひたすら繰り返し、其れらしく、まとまったら、全体を見直して必要ない所を捨ててしまう。勿論始めに食べ残していた中に致命的に重要な物があったりして、後から大幅に捨てたりくっ付けたりする羽目になる訳だけど、いずれにせよ、始めに考えたものと出来上がったものは別物に仕上がっている。特に自分が知らないことを考えるときにはこのパターンが多い。
 もやもやをギュっと凝固する作業は、何となく固める。結果固めたものには論理があったとしても。その固める作業は全然論理的な話ではなくて適当な気分によって実行される。頭から外に出すときに固まるときが多くて脳内は常にもやもやの中にドロドロしたゲル状の何かが漂っているだけの不気味な世界に成っているんじゃないかと、少し気持ちが悪い。こんなこと核と、まるで何も考えていない人みたいだけど、アレコレと考えてます。ええ、もやもやと。

 前に書いたブラウザから書くほうが好きだ。とか云う話も之と関係があって、エディタから書くと何か気分が違ってしまうというのは、ブラウザからエディタに移動すると何故か脳内のドロドロしたものも一緒に流れてモヤモヤになってしまうような感覚がある。そのとき思いついていることが、そのとき見ているものとか、聞いているものにかなり影響を受けてドロドロに成っているからかなんじゃないかと、推測。一度流れてしまうと、また同じドロドロにするのは難しい。雲の形を見て色々想像するのに何となく似ている。今一瞬、雲の形がひょっとして自分は馬鹿なんじゃないだろうかという形になりかけたので、すばやくエディタに切り替えた。