政治には期待が必要

 最近政治に期待しても変わらないという自称大人の新人社会人程度の20代の人が沢山いて大変気持ちが沈んだ。ある意味現実的なんだけど、以前に書いてた新聞社の問題点と同じ物を感じる。つまり、じゃあどういうプロセスを考えているのかが全くない。すると、個人が頑張る的な精神論を言い出す。それは精神論だけでアメリカと開戦まで踏み切った日本らしい発想だけど、何の具体性もない。分かりやすくいえば考える事をやめてがんばれば何とかなると思ってるだけで、実際は何とかなるどころか、まったく勝てるはずもない。資源もなく国土も広くなく、人口も中国やアメリカより少ない。そこで勝負したら勝てるわけがない。つまり仕組みや組織や人で何とかするしかないわけだ。ここまではいいけど、それを個人の努力と置き換えるのは思考停止だと思う。分からなくなってきたからって、ぶちきれて投げてしまって自分の慣れてる事だけ見て安心してしまうより、もっと日本人らしく粘り強く考えるしかない。個人の努力が必要だとしたら政治に対しても思考停止しない、そういう個人の努力だと思う。もし仮に個人の努力や精神論が必要なのだとしたら、そういう事なんだと思う。良くなると希望や期待を持ってないとそういうのは出来ない。それを放棄してる時点で、もう全然がんばってない。そんな奴が自分の見えてる所だけ努力しても何をがんばっているのかも定かじゃない。政治に期待しないというのは、分かりやすくいうと自分が慣れてないことを考えるのが面倒だという事を口走ってるに過ぎない。例え改善はしなくともどういう風にするべきかを考えるしか実際道がないわけで。