市場と選挙はそっくり逆の考え方?

システムで詳細が決まる枠組み
 最近、市民税の減税を叫ぶ河村たかしが動画で話していた内容を聞いて、あの人の印象が少し変わった。以前は何か変なことを喋る喋りの面白い人なのかと思っていたけど、どうもよく聞くと結構考えてる。どちらかというと喋りより思索タイプの人に思えた。逆に思索タイプなのに表現が下手なので相手に意図していることが伝わりきらず、何だか変わった面白い事を言っているように映るのだという気がした。で、肝心の面白い思った内容というのは、構造改革の方法とその根底にある思想みたいな部分だ。構造改革といっても具体的に官僚や役所がやる仕事に口を出しても新しい癒着が生まれるだけで、改革にはならないのではないかと言う疑問が根底にあるのだろう。だからまず予算を減らし、その中で何とかしろという前提を作るのが政治のポイントと考えているようだ。その理由として、予算を決めた後は、後は市場が自然に価格を決める如く自然に機能の方が調整するという考えがあるらしい。もし足りない部分が出たら積極的に政治に対して発言してもらって後から増やし、増加分以外の予算は継続的に削り続ける事で事業内容を継続的に見直し続けるという仕組みを想定しているようだった。
 まあ、言われて見れば普通の会社などなら売り上げ目標が常に設定されるが、公共サービスの場合サービスの質などは測定が非常に難しいので、目標とするとのはコスト減何%見たいな設定にするのは割と妥当な気がする。年々技術は進んでいるので少しずつではあるが、以前と同じ事をする場合にかかる費用というのは減っている。例えばPC関係などだと極端だが、同じ処理能力のものを手に入れる為のコストというのは物凄く下がっている。車などでも長い単位でみれば燃費などが向上している。徐々にとはいえ様々な効率化が進むのだから、総合的にみれば同じ事を繰り返す効率が上がらなければおかしい。工場などでも良くあるのはラインを作ったばかりの工場は効率が悪いが、しばらくすると徐々に効率が上がってくる。金利などでも同じ理屈になる部分があって、インフレなどで貨幣の価値が変わる場合、貨幣価値を損なわない為に金利が上がるし、デフレなら金利が低い。勿論流動性選好とか小難しそうな話もあるけど、同じ価値を保つという部分では類似する所がある。そういうものが役所にも求められている気がする。つまり社会の効率の変化に対してなるべく等価になるようにしないとおかしな事がおきやすい。役所などで良く裏金がどうか言う話になるのは、結局新しいことをしようとするとお金が下りないので、以前やっていた事で降りてくるお金の内、既にお金が必要ない所から回して新しい所に裏で使うみたいな事をやったりしているらしい。役所といえども完全に私腹を肥やしているケースよりも、こういう都合をあわせる為の行為として広がってる方が多いとか。つまり、多少以外だが、実情としては役所の現場自体は新しい変化を求めているってことだと思う。しかし、予算の枠組みは変化しないので裏金になってやりくりするという事になったりしていると。それは意外と民意とそんなに違わないのではないかと思った。ただし、必要だと思う部分は役所がちゃんと訴えないとダメなので説明して訴える力がないと成り立たない気もする。
 この考え方の面白いとところは、国民が強制的に政治参加しないと段々自分たちにも不都合が起こるという点。減税したらサービスが悪くなる可能性や、問題が起きる可能性はかなり高い。だから、減税してみた段階で問題があったら凄く声を上げて政治に訴えないと困った事になるという、強制政治参加型の方向性なんだと思う。役所も問題を訴える力が必要になるが、市民の方も政治に反映させる能力が必要になる。次々コストカットされれば次々問題が起きるかもしれないが、次々に問題を訴える。それを構造的に繰り返す事で、結果的に無駄もカットしていくという方向性に必然的になるという考え方?だと思う。まあ、それで上手くいくのかって言うのは知らないけど。
 次に、役所と会社の比較でいう時に出ていた話。減税をする事で、地方自治体同士の価格競争が発生するから市場原理に類似した健全な政治改革を促せるというもの。自治体のサービスは購入者である国民が値段を選べなかった事が問題で、複数の値段設定の場所があれば競争が発生するという部分。これは一理はあるけど少し疑問なのは市場原理働かせたら不公平感で上手く行かないのではないかという点。日本という国は結構吸い上げてるけど、その代わり日本が良い国だから日本より良い国を求めて出て行くより日本に税金払った方が良いと思わせている国なので、そういう強みも崩れてしまう可能性はある。この話は韓国や中国に国籍を変える人が多いのと比較すると興味深いと思う。

 ついでに、見てて自分が思った事とかもメモ。選挙と市場の仕組みは逆になる部分がある。市場では値段を先に決めて買う人が増えるか減るかと言う需要が決まってくる。つまり、収支は収入で決まってくる。一方選挙では1票という所得が先に決まっていて平等に誰もが同じ所得になっている。そして、どれを買うか(どの人に投票するか)選択するという方法を取る。民主主義といっても実は選挙の方法は資本主義的ではなくて、票という収入が平等で仕組みとしては意外と社会主義っぽい。しかし、投票という支払いが自由に選択できるので、完全な計画経済ではなくて消費を選ぶのは市民だったりする。社会主義が通貨を否定する経緯は理解できるが、何で社会主義国は自由選挙も否定しているんだろうかとふと思った。っていうか、市場原理的なものでも、バランスを変えた仕組みっていうのは意外と現実に使われているパターンが実際に多いことにも気付いたりした。

 後から読んだら何を言っているのか自分でも良く分からなかったので、色々つじつまを合わせてみた。