可視化の齎すATフィールド

 スクリプトのコピペとベクターとかでダウンロードして使うソフトの狭間。この狭間が持つ何か異質な雰囲気ってのがあると最近思う。何らかの精神障壁というか。まあ、実際にはコンパイルしてあるかしてない程度の違いしかないのも多いんだけど。そこに何らかの障壁があるのは確か。
 まず先に、iniファイルとスクリプトの狭間について思ってる事を書いてみることに。実際の話は、iniで設定を変更するのに慣れてればスクリプトで設定を記述するのはそんなに大差ない気がする。難易度的にもちょっと設定を変える程度のスクリプトなら簡単なので、そういうスクリプトはiniと同程度に簡単だと思う。ただし、iniと違ってスクリプトは変更の上限に制限がないので難しくも出来る。難しくて分からない所は手を出さなければいいとしても、確かになんか上限が見えない怖さみたいなのがある。分からないものに対する漠然とした不安と言うか。
 次にあるのは、スクリプトとexeファイルの狭間。コンパイルされてるexeファイルだと中身は完全にブラックボックスで理解できなくても気にならないけど、中身が見えてしまうと中身が気になるという問題。素性の分からないソフトは平気で使っても、スクリプトだと何故か警戒したくなるようなそういう違い*1
 そういう意味では自分はスクリプトも基本コピペでいいと思っている。exeファイルだってコピーして使ってるんだから。信用に足りると思えば、コピペで良い。それに全部自分で作ってられないし、元々作ってないのにスクリプトになったら急に全部自作しなきゃいけないという理由もないし。でも確かに自分で作りたくなる衝動とか、作らなければいけないような漠然とした気分ってのはスクリプトは持ってると思う。見えるって事の精神への作用は意外と大きい様子。

*1:基本的には致命的なリスクはスクリプトよりCとかの方が大きいと思うけど