日本人は人権が何かを知らないと思う

 最近書くことがないので自分が最近思う事とか、どうでもいい呟きもメモしようかなと。

権利の条件に義務があるって本当ですか? : 情報学ブログ
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_1fa0.html

 ここの話。個人的には自民党とか民主党とか正直どっちでもいいんだけど、人権の解釈という部分がいいことが書いてある。すごく当たり前なんだけど、最近自分の近くのいい年した高学歴の大人の殆どがこれを全く認識していないという事実に驚愕することがあった。権利と義務。この一見賢そうな言葉にどれだけの人が騙されているんだろうか。人権という権利に対して存在する義務は、権利を守り維持する義務であって労働とか納税とかそういうものではない。つまり日本国民ならば、納税してなくても犯罪者ですらあっても人権というのは存在してしまうし死刑だって人権は問題になる。放棄するのも難しいような権利だと思う。しかも、それを致命的に損なう仕組みがあったならば、義務とかごちゃごちゃいう前にアウトなはずだというくらい強い権利でもある。この人権の考え方を、どれだけの人が認識しているだろうか。
 ヨーロッパとアメリカは散々奴隷制や、専制君主との戦いを経て革命を果たし民主化し、その後の混乱を乗り越えたという非常に明確な歴史が燦然と人権を照らし出している。欧米で今なお続く問題がピックアップされるのもこの意識が非常に高いからだと思う。一方日本人は"人権は大事"という程度の言葉しか知らなくて、実際それがどういう事なのか理解してないと思う。それが最近の日本は労働システムへの考え方などに顕著に表れている。中には本気で奴隷制を欲している人が沢山いる。それも声高に叫んで違う名前がついてるから気づいていないだけの事実上の奴隷制のようなものを望んでいる。
 その奴隷制を望む声をプッシュしているのが、「勤労の義務」の曲解で、本来は、勤労の義務とは、あくまで精神的なもので、実質的には強制されるものではない。解釈問題にはなるが"国民が失業状態にならないように国家が適切な施策を講じる義務"という風に見る方がむしろ適切なのだと思う。その理由としては、労働は確かに今も大事ではあるが、それを捻じ曲げて精神的なものから変化しシステムにまで影響を及ぼすと、それは奴隷制になってしまう。あくまで自由意志で労働していることが大事で、それで生きていけなければいけないという極めて難しいシステムが、民主主義であり人権を尊重するという組み合わせなんだと思う。

 以前は学歴というものが日本の社会に大きな力を持つ指標で、それが労働の美徳みたいなものと結びついて比較的穏やかな環境が形成されていたと思う。年功序列や、学歴という比較的公平な指標を流用することで、一種の拝金主義になるのを何とか防ぐという効果があったと思う(勿論違う問題は生んでいたと思うけど)。現在、学歴や年功序列が崩壊して正しい指標がもたらされたかといえばそうではない。結局、学歴主義から拝金主義になっただけで、それも若者からいい年したお爺さんまで皆そろって拝金主義になってしまったという事実。元々はすごく嫌がられた拝金主義だが、今や能力主義という名前に上辺をすり替えて、昔ながらの労働の美徳とくっついて恐ろしい猛威を振るっている。もはや労働の美徳というよりも成果が重視されているので実際には労働とうより、いくら稼いでいるかという名目上の数字が非常に重要視される。実際にはその名目の数値を出すために下支えしている数値を出さない人たちというのが沢山いるわけだが、その辺も数値化することで全部無視されている気がする。些細な物事の認識の端々に、人権とか勤労の義務とかそういう知ってて当たり前のことを勉強してこなかったのが透けて見えてしまう人があまりに多い。これは本来非常に大問題だと思う。しかも、その違憲がなんぼのもんじゃ!みたいな人が堂々と闊歩している。恐ろしい事態だと思う。ゆとり教育どころの騒ぎではない。一歩間違うと日本だけ古代帝国に逆戻りしかねない勢い。