演繹と帰納

最近自分のやってる事について色々考えたりしたのでメモ。
xyzzyのページの概念 - himadatenodeの日記
http://d.hatena.ne.jp/himadatanode/20080411/p5
この辺の話

■適当に気分で決める
 具体的に自分のやって事を考えてみると「page-delimiter」は検索しても、結果を総当りで全ては見てない。Googleでも検索しても全部は見まないで、ざっと眺めて見るのを決める感じ。Emacsのリファレンスも含めて検索したりxyzzyのリファレンスも読むけど、全部の意味を厳密には読んでいない気も。殆どの分からない所は飛ばして、分かる所を読む感じで。それを暫くくり返す*1と、分からない所も自然と分かるので、そういう事をしている気がする。検索結果の中から何処を読むかを決めるのは難しいけど、殆どは気分で読む感じ。完全に分かったわけではないけどある程度分かった場合はそこまでの経緯をメモ。まあ、そういうメモがここに書かれてるわけだけど。

■説明が説明にならない
 前の場合は"「改ページ」とか「制御文字」とか「form feed」とかキーワード"は難しくて、表面上は読んでても意味は理解してない感じ*2。単語を個々に検索しても、その説明が理解できないので、説明が説明にならないというか。延々と基本事項を遡って余計に難しい説明が出てくる。

■ひたすら帰納と確認
 xyzzy以外でも同じで、どんどん元を辿って分解して理解するのは難い*3。自分の場合良くやるのは積み上げずに、その知りたい事の周辺を適当に食い散らかす感じ。訳分からない話も、分かる所だけ100回位読んでれば段々帰納法的に意味が分かるというか。エッシャーの無限階段みたいに続く分からないループを全部繋げてみると意味が分からないので、今焦点があってる一つの角の段の積み方だけを見て、その周辺で成立する法則性だけで理解して、とりあえず今求めている機能とかをでっち上げてみたりする感じ。賢い人なら全部を認識できるのかもしれない。けど自分には難しい。適当に必要に感じた時に必要な場所を見るだけで。多分自分のやり方が極端に帰納法的なんだと思ったり。分からない所は推測とテストで只管しらべる。帰納→テスト→帰納→テスト→・・・。帰納だと妙なミスも含んでしまうので、だからケアレスミスが多いのかもしれない。「ビールには水が入っている」、「ウィスキーにも水が入っている」、「ブランデーにも水が入っている」、よって「水を飲むと酔っ払う」。

 でも、ソレで本当に出来るの?胡散臭いと思われそうだから、具体的な例も書いておこ。例えば、殆どの人はハードウェア的にPCがどうして動くのかは分からないけど、インターネットを見て楽しんでいる。TVがどうして映像を映し出すか分からなくてもTVをリモコンで操作できる。分解して辿る演繹的手法だと、分からない事があると分解してリモコンの中まで理解しないといけなくて、何時までたってもリモコンが使えない感じ。

*1:Googleやリファレンスや関連してそうな所を適当に漁って同じように適当に読むのをくり返す

*2:今は何となく分かったような気もしますが

*3:勿論ケースによってはこっちの方が簡単な場合もあるけど