職人は口下手か?

 職人は口が悪くて、口下手なのが職人気質みたいな話を良く聞くけど、それって随分な思い上がりなんじゃないかと、思った。いや、断定してみよう。そりゃ思い上がりだ。今日は如何にも女という人と話して色々思ったわけだけど、男の人と女の人の話の構造って随分違う。女の人のお喋りには余り意味がないとか言うが、これは営業トークに良く似ている。当たり障りなく話し、話の中身を意識させずにそれとなく話を自分の思った方向に進ませる。一方、職人の場合は実際に物が出来ないといけないので、感情の問題よりも効率や、成果が重要となる。必然的に違う事は違うとなるし、話相手の感情よりも結果出来た物のよさが求められるので、相手の感情を多少傷つけることもあるかもしれない。
 これって、その人の周囲での重要度という文化の差で、けして口が悪いわけではないのではないかと、最近しきりに思っている。世の中は如何しても文型の営業トークが中心となって進むので、その自分的中心から見た時の辺境の文化は異常で中心文化にとって重要な"出来うる限り当たり障りがない"という基準から見ると随分オカシナ事になっている。それは口下手と表現されているんじゃないかと。しかし、個人的には営業トークとは違う会話も存在するし、物事の正確さの方が重要となる場合は意外なほど世の中に溢れている。これはソロソロ中心の人たちも気づくべきだと思うんだ。

■間違いを指摘する。
 例えば、HDNで誰かがここに書いてあることにヒントをくれたり、色々教えてくれることがある。しかし、それは別に私が嫌いで、嫌味を言っているわけじゃなくて、それを教えてくれるという非常にありがたい指摘なのだ。同様にソフトのバグを教えてくれることはソフトの欠陥を指摘する嫌がらせと言う場合は殆どない。そんな所で、感情を気にして、やわらかい婉曲な表現をしていては何が問題なのかすら分からないことになる。

■反論する
 何の恨みもない人に向かう職人の反論は、別に嫌がらせとか悪意のある主張ではないと思うんだ。例えば、何かの指摘があった場合、それを確認しなければいけない。その際に、自分が得ている結論(または持っている情報)と、相手の結論(または情報)の何処で食い違いが生じているのか確認しなければいけない。これが、反論の正体であって、殆どの職人的"口の悪い人"は何も相手に対して敵意を示しているわけではないはずなんだ。相手の提供する情報に対して、自分の情報との整合性や、どの部分が間違っているかを確認するためには必然的に検証するという作業が生じてしまうだけじゃないかと。

■クドクドと長い
 分からなければクドクドと説明を加えてくれることは実際には意外と重要で、それが重要でないというならxyzzyWikiなんて冗長以外の何者でもない。むしろ、正しい理解をすることが結果として一番シンプルになる、相手を選ばない情報と言う意味では多少常識的な知識が多くてもxyzzyWikiは役に立つ。勿論出来る限り簡潔な方が望ましいが、無理だった場合は情報がないよりあった方が良い。それは理系の人の説明が小難しいことを嫌がらせとして言っている分けではないのに似ている。

■実はアカデミックじゃないかと
 ここに書いたような検証、チェックし正確に把握するという行為は、理系の場合は、そうするべきだ。と言うくらいの意味合いで重要と思われていると思う。アカデミックな意味においての文型の場合でもコレが重要なことは多いはず。逆に言うと真実から遠くてもかまわない場所においては、極端に軽視されがちなものだとおもう。これが理屈ばかりの学者とか、口下手な職人とかの正体なのではないかと思う。

■価値の低下が目立つアカデミック
 古い意味では、日本では、このようなものは非常に尊ばれてきた概念だったはずだ。むしろ、理屈の分からん女子供はすっこんでいろ!*1という具合になったはずの概念じゃないかと。最近の十分豊かになった安全な社会では、理屈など手っ取り早い飯の足しにはならないので*2軽視されがちになり、サービス業でマネーゲームを繰り広げる場所においては、象牙の塔となってしまうのではないだろうか。とどめは女のような男の増加や、本当の女性または、女性的な価値観の地位が向上したことにより、貴重と見なされていたマイノリティーはただのオタクや軽度の精神異常者扱いとされているような気がして成らない。

*1:注意:女性蔑視を推奨しているわけではないですYO

*2:新たな付加価値をつけるためには惰性やマネーゲームじゃないので収益を得るまでのスパンが長いのは否めない。