何かをするための何か

 と言うの物って、行き過ぎると、どうも退屈。何かをするために何かのためのの何か。、とか延々と続いていると最早、見なかったことにする。今それがしたいと思ったら、それをするための何か、位で止めておかないと、動機が弱すぎるのかもしれない。でも、何かしなければいけないとか、決められていると、何かをするための何かって、結構魅力的。
 テスト前になると何故か机の周りとかを片付けだす心理に似ているのかも。できる所から障害を引き下げていく行為って実は意外と大事なんじゃないかと。現実逃避も時々は役に立つ。どうしようもなくて、現実逃避しているときの脳のパフォーマンスは馬鹿に出来ないとか思ってみたり。脳の中でモヤモヤと渦巻くカオスが結論的に導き出している現実逃避は実はあんまり逃避していないんじゃないかとか。
 場合によっては、逃避の方が現実には役に立ったりして、じゃあ「しなければいけなかった」と思い込んでいたり、誰かに言われていたことは何だったのかとか、なんともいえない。何かをしなければいけないというのは、本当は何か以外のことをさせるための方便なんじゃ・・・。
 まあ、どうでもいい話だけど。