需要と供給は紙一重

 もう一つ最近思ってた事シリーズ。最近の流れって自由主義の幸せな理想を崩壊させてるんじゃないのかと思ってた話*1。具体的に自分が思った事は、需要と供給が通じる状況と通じない状況があるということ。市場原理って元々結構限定的な状況でしか通用しないと思うんだけど、最近その通じない部分での動きが現実とモデルを剥離させてて凄いことになってる気がしてる。昔は食料を作りソレを生きる為に買うとかいう単純な話だけど、最近は生きる為には意外と必要ないものが流通してて、ソレにも価値がある事になってる。でも、そういうのって、生きるの為の資源が十分にある人にとっては別に自分が無料でやってもいいんだよね。好きでやってみたりして"それが僕には楽しかったから"とか言ってみたりするんだと思うんだ。その場合は本来供給されるべき労働がパズルゲームを楽しむ富裕層の需要となってたり社会的な欲求を満たすための需要になったりする。生存に十分な環境にある場合、需要と供給が凄く紙一重になってると思うんだ。特に先進国のような十分に豊かな国に置いては。
 そういう意味で、市場原理のモデルって楽しいからやってしまうという人達があんまり沢山いる状況を考慮してないと思うんだよね。皆が金の為にひたすら猛進するというハングリーな精神構造を前提にしてる。でも実際は一定程度の収入を得られれば十分で、後は楽しい事をしたいという人達も沢山いる状況。素人が趣味や楽しみで動画を作りニュースを伝え小説を書いてたり絵を書いたり音楽で遊ぶ状況。酷い時には面倒なプログラミングや、DIYで何か作ってしまってたり、無償で知識を教えたり共有したりする。金も貰ってないのに。こういうのは本来労働だったと思うんだ。つまり需要があり供給されるべきものだったはず。しかし、今となっては需要なのか供給なのか定かじゃない。しかし必要とされてる。これ以上はトンデモ臭いので止めて置く事に。でも、こういう事は現実起きてるし、3次産業はかなりヤバイ。放置しておけば市場は十分に最適化して再び格差を作る*2だろうけど、それが本当に良いのかどうか。マズロー的な意味での所欲求水準が高まってる市場では、欲求段階に応じて市場を徐々に変化させている方が望ましいのじゃないかと思ってみたりしている。まあ、どうするかが難しいんだけど。

*1:まあ、こういう話は既に説明可能な話かもしれないけど

*2:自由主義は市場原理が通用するモデルになるまで現実世界へ作用し格差を作る