エディタの持続可能性

 エディタの持続可能性みたいな話がエディタスレに出てたので、適当に自分が思う所を書いてみた。開発継続される可能性は自分が思うにはこういう感じじゃないかと思う。

Emacs>>>>サクラ、秀丸>xyzzy、Em>gvim>>>>その他

■適当な理由
 Emacsは開発している人というより、開発体制が圧倒的。しかもデファクトスタンダード。使用者も開発者も、開発者に加わりやすさとか体制も含めて、かなり有利だと思う。
サクラ、秀丸は、両方方ともWindowsスタイルだけど、持続可能性の意味が少し違うので単純には比較できない。サクラはソース公開しているので放置しておいても誰かかがやるかもしれないという意味と、使用者の多さとかで有利だと思う。一方の秀丸は現在使用している人は多分一番多いからと、収益構造があるので開発が継続しやすい。後は、もし開発元が潰れてもブランド力から何処かが買い取る可能性もかなり高いかなぁと。
 秀丸と比較するとやや使用者が少ないという意味でemは多少不利な気はする。xyzzyは本体の開発者が殆ど居ないけど、ソースは公開されてるので誰かがやる可能性はある。あと基本的にlispで相当拡張できるようになっているので、仮にCのソースが全く更新されなくても新しい機能とかは勝手に作られていく。拡張はlispなのでEmacsの恩恵にあずかりやすいというのもメリット。
 gVimを下の方にしたのはvimというブランド自体の継続性はEmacsと並ぶだろうとは思うけど、それはWindowsで言えば秀丸とかEmみたいな細かい区別をしないでWindows風の操作体系は残るという感じじゃないかと思っているので。つまり操作体系じゃなくて現物のエディタとしては、かなり継続が難しい部類のエディタだと思う。一応オープンソースだけど、作ってる人は基本的に一人だし、中のコードもかなり歴史の積み重ねで面倒な事になっているらしいという事なので、コード全部を買えて作り直すとか言う日が来るか、どこかで止まるかのどちらかには結構近いと思う。