自己愛と同調圧力

仲良くするのはこんなに難しいのか〜『友だち幻想 人と人との〈つながり〉を考える』 菅野仁著(評:澁川祐子):NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080423/154053/

 ネタもないし、何となくTokky.comが書いていたので自分も何となく何か書いてみた*1。自己愛と同調圧力の話。自己愛は他人から見た場合、同調圧力への反応で出ると思う。同調するのが面倒とかいう問題もあるわけだけど、とりあえずそれは置いておいて、自己愛が強いと、自分の脳が計算した結果も結構妄信しているので、同調圧力に対して強い。正しいか間違っているかの検証能力は別にして、外からの圧力だけでは自分の中の情報が変化し難い傾向はあると思う。つまり、コミュニケーションのための同調とかコミュニケーションしてないと不安*2とか言うのじゃなくて、むしろ、同調よりも自分の脳内のルートとかノードの情報の正確さを見直したり、自分の情報と外の情報を比較したりする。フォーカスが内側や情報の中身へ向いて外の情報を使うので、外に向かった人間の関係性とかそういう方面へ眼が行かないというか、まあ、良くも悪くも内向的な目線。所謂一つのKYって奴だと思う。
 逆の人は、人間関係のルートとかノードとかの情報の正確さを見直したりする。この場合は情報の処理事態が意外と外に依存していて、結果的に同調圧力に弱くなるんじゃないかと思ってみたりしている。これは外向きといって必ずしもポジティブであるわけではなくて、外向きでも外の情報をネガティブに捉える人も組み合わせとしてありうるので、組み合わせの問題もあると思うけど。*3
 自分の場合は、基本的にはネガティブだと思うけど、自分は大好きなので、外の情報も結構自分の内側に向いている場合が多く、外に対してはあまり気が回らない、結構傍若無人だったりもしている気がする。
 でも、非コミュとかの解釈には懐疑的。人間関係の能力は限定的な状況で使われる事が多くて、実際の特定状況下でのケースは、意外と形式や所作の暗記の占める部分が大きくて内面的なものは少ないと思う。これは例えば、ネット上で非コミュを名乗る人たちが集まって十分にコミュニケーションをしているのを見ると、非コミュっていうのは状況に対する唯の不慣れor少数派の所作をする人だと*4。こういうのはペルソナって言うか付けてる仮面を増やせば意外と代替可能で、2chですら2ch風の名無しという仮面をつけてコミュしている。分かりやすい実例で言えば、電話に出る時だけ声が高くなるオバちゃんは、電話で話すペスソナに切り替えてるんじゃないのかと。2chはそういう意味では凄く人間が持つステレオタイプの仮面部分だけを抜き出したようで興味深い。

*1:この本は読んだ事もないけど、(´,3`)~♪

*2:もしくは情報処理の外部への依存

*3:内向きか外向きかは外の情報をポジティブに捉えるとかネガティブに捉えるとかとは別のパラメータとしてあるような気がする

*4:まあ、多数派の所作が良いのかという問題もあって、握手、お辞儀、ハグとか、不思議な踊りのどれを選ぶかという感じの文化な問題だと思う