ネガディブシンキングのススメ

 最近よくポジティブに考えるとかいうようなフレーズを聞くけど自分は割とネガティブ。本とかでは考え方を変えるといい事があるみたいに書いてあるが、性格みたいなものがそんな簡単に変えれるなら誰も苦労はしないのだ。性分は中々変えるのが難しいので、ネガティブであることをポジティブに考えるという矛盾した屁理屈でネガティブシンキングを進めている。だからネガティブでもいいのだと思い込むことに。

■知ったかの恥学
 自分は知ったかなので、良く恥をかく。しかし、どういうときに恥ずかしいかを考えると意外と恥ずかしくないような気がしてくる。恥ずかしい状態とはどういう状態か。たとえば、殆どの場合において全く知らないことは恥ずかしい事になりにくい。子供が難しいことを知らなくて恥ずかしいことではない。むしろ微笑ましい。専門外の人が専門的なことを知らなくても特に恥ずかしくない。つまり全く知らないより、ちょっと知っているとか、知りかけの状態の方が恥ずかしい。例えば、あまり知らないのに知ったようにしてしまうと、後から恥ずかしい。自分の知識に自信を持っていたり、それが自尊心とかにまで昇華されていると、恥ずかしさの度合いが酷いことになる。

  • まったくできない => 気にならない。
  • 少し出来る => 気になる。
  • とても出来る => 気にならない。

 もし、何か悲惨な知ったか劇場を繰り広げてしまったとする。普通にいくと、この時点で悲惨だ。しかしだ。ここで良く考える必要がある。まず、自分は本当に知っていたのかと。自分の場合は、殆どは知ったといっても大して知っていない。凄い人が沢山いるのだから上を見上げれば、頂点が見えないほどのの標高差。端のほうにいる自分が知らないことは、たいして恥ずかしくないような気がしてくる。もともと、そんな出来る人の位置にはいないのだから。このように上を見上げると自分がたいしたことないのに気づく。アレコレ考えているうちに、たいした事ないのだから間違っていても、むしろ当然なんじゃないの?くらいに思えてくる。

  • 上を見ると => 全く出来てない

=> 自分は低レベルなので間違えて当然。気にならない。

  • 下を見ると => 少し出来ると思う

=> 無駄な自尊心が傷ついて気になる。
 其れを実践すると、むしろネガティブな方が、無謀な感じで無知だろうが突き進めるという仕組みになっている。ビバ!ネガティブ。とか今考えた。ここの日記で無知を晒しているのはそういう屁理屈で何とかならないだろうかとか。ならないね。(∩ ゚д゚)アーアーきこえなーい