JRPGしか作ってないゲーム業界が学ぶべきこと

4Gamer.net ― 【島国大和】パチンコや麻雀,そしてソーシャルゲームからゲーム業界が学ぶべきこと
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20101021061/

 前読んだのより今回のはずっと本質に迫ってきているけど、こういう切り口っていうのは実は沢山あると思う。切れば切っただけ構図というのがあって人によって表現の差はあると思う。ただしゲームというもやもやとしたものを何度も切れば大体どの切り口でも本質的には似たような所に推測が及ぶんじゃないかなと。

■ゲームの寿命を考える
 じゃあ、その何となく共通するのは何よって話で言う所を少し書いてみたいと思う。今度は前と違って持論で。ゲームの楽しさには重要な要素がいくつかあると思う。一つは運。そう運は外せない。もう一つは、プレーヤーのゲーム能力。これも外せない。プレーヤの能力に依存しない、つまりプレーヤが全く関与しないゲームはゲーム性は低くジャンルとしてゲームじゃなくて映画や小説とかに近いのではないかと思う。この二つは基本足し算だったり掛け算だったりなんていうのはゲームに運をどれだけ入れるかで変化するが、大体の形は

ゲームの結果 = 運 + プレーヤの能力

 こういう風になってると思う。ゲームの結果については、ゲームの種類で色々あると思うが、成功するか失敗するかの大体2択なのでその辺も共通と考えて良いと思う。ゲームの結果というのはゲームの楽しさとすごく密接で、常に一定の結果を生む場合は作業となってしまって面白くない。常に当たりしかないクジを引くくらいならはずれがある方がまだ面白い。つまり変化が必要で適度に失敗したり成功したりするように設定しないと面白くない。その為にも運要素は外せない。
 次にこの結果を考える時大事なのは、ゲームの結果を積み重ねるか、一回ごとにリセットするか。RPGのようにキャラクターが成長し、Lvが上がれば次の戦闘でも強いまま続行できるというパターンと、格ゲーのようにキャラクタの能力は成長しないし、勝敗の結果は次のゲームの結果にほとんど影響を与えないというパターンがある。一度でも勝てばキャラクタが成長し次はそんなに苦戦しないRPGだった場合は、何度失敗しても一度勝てばいいので、回数を何度もやればその内運要素もあって勝てる。積み重ねパターンだと

ゲームの結果 = ( 運 + プレーヤの能力 )× 回数

 という風になってしまう。プレー回数を重ねるとゲーム結果が成功ばかりになってしまう。ゲームの結果をグラフにしたら失敗成功を繰り返し徐々に成功に収束するような形を描く。実際のゲームの多くが大体そうだと思う。失敗と成功の振幅が収束するとそこでゲームの寿命は終わりで、成功になったのでクリア。以前書いた疑似的な能力拡大ゲーの場合は、コンテンツを消耗させるゲームの場合には好都合なわけだし、ゲーム作ってる人にとってはコンテンツ消費してくれるから仕事にもなるんだと思う。これはゲームの一つのバランスを取る形だとは思うけど、オンラインになると問題はPvPやソーシャルな部分へ焦点が移ってしまっているので、この部分の調整能力みたいなものはオフラインでこそ光る。

■ゲームの楽しさを考える

 何も意味がない所がゲームのいい所

 前に自分は糞ゲーをやると作業をしている感じが凄くすると書いたが、ゲームの楽しさは何か疑似的な報酬というか喜びみたいなのを感じる部分だと思う。大体のゲームは実際にはその結果が何か重要な意味を持っているわけじゃない。しかし、ただのアイテムの数値に一喜一憂するし、数字上の家とか人とか街とかそんなものに喜んだり悲しんだりする。つまり、疑似的な報酬だが、そこでプレーヤーを騙しきれる程の説得力や魅力がある場合、その疑似的な報酬に人間は意味があると錯覚して喜んでしまう。しかし、それがゲームのいい所でもある。つまり成功しても意味がない代わりに、失敗しても問題にはならない。だからいくらでも失敗できる。常に失敗が混ざってしまったら現実問題なら困るが、ゲームならばいくらでも失敗できる。上でも書いたが結果が常に一定でなくランダムだから面白いと感じるし、その失敗できる環境こそがゲームの魅力だと思う。ゲームの殆どがシミュレータのような形式と類似点があるのはゲームの本質が失敗できるリアルという部分にあるからじゃないかと思っている。そしてそれを喜べる方が人間の学習にも都合がよかったのでゲームが楽しいのじゃないかと思う。逆の視点でいうと、その変わりに成功しても意味がないとも言えてしまう。普通のよくあるゲームはこうだと思う。未成熟のゲームについては大体失敗できると言う事が意味があると思う。
 ただし、ゲームが成熟しているものでは、その理屈はあまり通用しない。成熟してくると疑似的ではない報酬もゲームには含まれている。マズロー欲求段階説みたいなのを意識すると分かり易い。未成熟なゲームは生理的欲求(例えばエロゲ)や安全の欲求(例えば戦争ゲーやホラーゲー)などを疑似的に錯覚させ、リスクのないシミュレータのような楽しさを想定されている。一方同じゲームといっても、ソーシャルなゲームやMMO、将棋などのよりリアルなゲームでは、ゲームの楽しさに集団や社会性と結びついている。例えば将棋ならば少なくとも相手と自分の二人の人間の勝負でそこには二人の関係性がでてくる。もっと大きな枠組みの例でいうと、将棋の名人は社会的に認められている。つまり、名人になるという社会的な名声が報酬としてついている。これは、ゲーム自体の面白さというより、日本社会が作っている将棋の枠組みとかそういう部分の勝負になっている。単に想像上のものではなく、羽生さんならば、将棋をする時にこういう部分も将棋の一部に入っているだろう。こうなってくると失敗した場合には損失がでてくる。厳しすぎるゲームというのは実はゲームの中身ではなく結果が現実に及ぼす程度が大きいと言う事だと思っている。そういう意味でパチンコや麻雀を毛嫌いする人は金銭的なリスクを嫌っている人に多い。逆に運要素が極端に少ない将棋のようなゲームを嫌う人は人間関係に関してのリスクを嫌う人に極端に多い。正直ゲーム何だから負けてもいいじゃんと思えない人はソーシャルな人と人との関係性やプライドでそれを嫌うんだと思う。例えば格ゲーではその格ゲーという仮想の枠組みでの上下関係なのだけど、それをリアルに錯覚してしまう人はこれを極端に嫌がる。PvP好きとPvE好きは同じゲーム好きでも全然趣向が違うと思う。しかし、成熟したゲームの場合は今度はリスクもあるが、ゲームをさらに疑似化することでリスクをなくしてゲーム性だけを楽しむという事が当たり前になってくる。例えばサッカーや野球を観戦しているファンの心理は、疑似的に自分の応援しているチームの一員になっているような気分に違いないし、サッカーゲーム等に至ってはサッカーの人間関係性だけを除いてサッカーをしていたりするんだと思う。

■ゲームが進むには

 ゲームは何かと社会悪みたいに言われてしまうけど、ちゃんと枠組みさえ作れば将棋やサッカーのように意義が出てくるのはそんなに無理な話ではないと思う。そのためにはゲームが厳しすぎると駄目だとか黄昏るとか、そういう話を気にする必要はあまりないと思う。面白さを主体に考えてやれば後は枠組み勝負の問題になるので、どういう人間関係をゲームに入れるかとそれをまとめる周りの枠組みを考えれるかという部分になると思う。もう一方のゲーム、つまりPvE的部分の場合は失敗できる従来通りのゲームの面白さと、シミュレータみたいな部分で違う意味が出せるんじゃないかと思う。

はてブにコメントを貰っていたので、ゲームの快感とは何ぞやについて - himadatenodeの日記
http://d.hatena.ne.jp/himadatanode/20100504/p1