どうでもいい話

 自分は404は好きなので結構読んでるんだけど、いつも微妙に意見が違うとか。あとは自分の勝手な思い込みについて。

■人間をブラックボックスと考えてみる話
 人間をブラックボックスとしてみる場合入力と出力は意外と法則性もあって、分かり難いけど複雑系的な出力なんじゃないのとか思ってる。これは人間の能動性と意思についての問題を含むので勝手に思ってるだけ程度の事なんだけど。 
 例えば野球でヒットを打つには練習しないと駄目で、これは一種の真理だと思うけど、第三者から見たときは、練習したから打てた用に見えても、実際は逆で、初めにヒットを打てたから練習をしたんじゃないのだろうかと。常々思ってる。二人のほぼ野球の能力は同じ人間がいるとして、一人はヒットを打ち一人は打たなかったとする場合。初めにもしヒットを打っていない場合の心理状態と打った場合の心理状態の違いと言うかそういうのからして、絶対に偶々打った人間の方が練習しやすいと思うんだ。これは慢心を取り除いてると言う意味での異論もあるかもしれないけど、単純な動物で考えたらそうだろうだと思うと言う意味で。動物は訓練の後に餌を貰ったり褒められると学習する。いい事が後にあるのを知っているから行動する。未来予測や言語がない動物は、それを体で感じる。人間は下手に知識で知れるから区別が付き難いけど。麻薬の中毒症状を知っていても中毒になったりはしないが、一度中毒になった人はまた同じ誘惑に負けてしまう率が非常に高い。体が知っているから。
 犬場合、いい事は人間の方が超自然的に作為的に決めているので因果関係が逆に、DoからFeelになってるけど、犬の能動性について考える場合Feelさせる人がないと、Doしないともいえる。人間の場合Feelさせる天才的な人はそんなに居ないので基本FeelからDoだと思う。
 野球の例で言えば、練習する人としない人の違いは何処で生まれているかと言うとはじめに偶々ヒットを打つか打たないかと言う部分で別れている。その些細な初期入力の違いが後の出力に対して大きく影響してると思う。個々の原理自体はそんなにめちゃくちゃでもないという意味で複雑系っぽい入出力に思える。
 そういう関係性から人間の行動の因果関係はよく言われるのと逆ではないかと思ったりもしている。能動的でないから不幸なのではなく、不幸だから能動的でないのだと。

■2割の打率の話
 駄目な自己啓発本に良く出てくるパレートの法則とか80:20の法則という話があるけど、自分にはあれは結構正しそうに思えるとかそういう話。まあ、間違ってるかもしれないけど。つまり人事の確率は常に2割くらいでしかヒットしない。しかも、この数字は大して変化しないと言う事に。そもそも、人事の問題じゃないともいいえるけど。一定人数以上の集団にはかなり成立してしまう法則性なんじゃないのかと。精鋭であるには少数でなければいけないという体感的な意見も自分は結構賛同してる方で、理由は数が増えてくると統計的な問題を避けきれなくなるからとか。少数ならイレギュラーでありえそう。
 じゃあ、会社の8割は常に遊んでいるのかと言うと、それは違うわけで、蟻の話とかは有名だけど、出来る2割だけ取り出した集団を作るとまた、8割は落伍者になってしまうと言う罠っぷり。構造的に集団の能力は上昇しないのかと言うとそれも違って、パレートの法則は母集団を何にするのかを限定してないように見える所がポイントだと思う。つまり、あくまで相対的な比率評価なので、全体の水準が高ければ、色々変わってくる。
 あとは、8割の人にはクリティカルな仕事じゃないんだけど居ないと困る仕事とか、職場を円滑にする人とか。野球もピッチャーで7割くらい試合の流れが決まるかもしれないけど、守備が要らないかと言うとそうではないし。つまり、いい人が仕事を出来ないというのは、逆に理想的なんじゃないのかとか。ただの良い人がピッチャーであるより、レフトとか守ってる方が良いし。集団の人数がいる場合、結局仕事が出来ない人がある程度いるならば、いい人で職場を円滑にする人の方が望ましいと思う。逆に人が悪い人間は出来る人になるしかないという厳しい選択。だって2割しか居ないんだから倍率高いよ。まあ、残りの8割の人がいい人でも、2割に不公平感や嫌な気分を他の人に持たせてしまわない用にしないと逆に円滑じゃなくなるので、そこの配分を先にするべきなのかもしれないが。つまり残業しないと出来ない仕事をその人に割り振ってる時点で仕事振る方が相手の能力見極めれてないんじゃないかと。

書いて見て思ったが実に動でもイイ話。こういうのは書かないほうが良かったんじゃないのか結構投稿する時に迷う。